「KuraKuraのおと」

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圧巻!

何と、3ヶ月ぶりの更新。

ついに書くネタも尽き、精神的にも低迷、、、店も同じく、、、(笑)
久しぶりに演奏会に行ったので備忘録的更新と相成って候。



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注目している指揮者の一人、エサ=ペッカ・サロネン。
彼が、手兵・フィルハーモニア管弦楽団と来日。
ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団もそうだったが、来日するオーケストラは関空から入り、西宮で初日、その後関東方面へ進むのが定番化しているのかな?今回も我が(笑)、兵庫県立芸術文化センターが初日公演となった。
プログラムは
ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第3番(ピアノはチョ・ソンジン)
マーラー・交響曲第6番「悲劇的」

サロネン/フィル管のコンビを聴くのは今回で3回目。
初回にマーラーをやったが曲が「巨人」だったので欲求不満だった(笑)。しかし今回は6番。申し分なくサロネンのマーラーを堪能出来るものと期待は高まる。

ベートーヴェンが終わって20分の休憩。
後半の指揮台に向かうサロネンは、既に「運命の足音」を踏みしめているかのように、お辞儀も早々にチェロとコントラバスに向かって指揮棒を振り下ろした。観客席がまだ音楽を受け入れる態勢に収まる前から「ザッ、ザッ、ザッ」と力強い足音で、、、。聴き手は、不意を突かれたスキに心の中にズカリと踏み込まれて先手を獲られた感じだが、既に「勝負あった、、」とボクは確信した。何故かな?(笑)
音楽は、謂わば「間の芸術」 聴く者の心に絶妙に入り込む「間」 この「間」を支配出来る者こそが名演奏を生む資格がある。・・・そんな感じ、と言ったらわかってもらえるだろうか。
サロネンの棒は、相変わらず的確で時に力強く、時にしなやか。そしてこの難解で複雑な大曲を、まるで解説しながら進行させるような見事なバトン。オーケストラは、彼の積極的な推進力に促されるまでもなく、意図を全て了解済みでテンポの揺れやフレージングにピタリ寄り添う。当たり前のような「当たり前」を、さりげなくスマートに実現できるのが世界トップのオーケストラだ。2008年から主席指揮者・芸術顧問の地位にあるサロネンとの充実ぶりが著しい。さらにこのオーケストラにとってマーラーは謂わば十八番。かつてシノーポリと録音した全集は名盤中の名盤だし、最近ではマゼールの遺作的マーラーチクルスがある。今まさに繰り広げられようとしている極上のマーラーに我々聴衆が引き込まれないワケがなかった。
演奏は圧巻の一言! 曲が終わった後、サロネンがタクトを降ろしてからもしばらく沈黙が続いた。
「ブラボーっ」とフライングする人もなく、、、ホール全体が、極上の「運命の打撃」から我を取り戻すのに自然に時間を要したのだ。これこそ名演の証明だろう(笑)。



マーラーのこの交響曲は「悲劇的」と呼ばれている。
マーラーの人生は波瀾万丈。41歳の時に出会った18歳年下の美女・アルマと結婚し二人の娘に恵まれる。しかし、その後長女を病気で失うわ夫婦仲は徐々に冷え込んでしまうわで、ついにはアルマが浮気。失意の中、50歳の若さで病死してしまう運命にあるのだが、第4交響曲以降の作品がこの10年間に書き上げられたという事実がマーラーの人生を象徴する。実に濃密な10年!生き急いだ、いや、死に急いだ濃密な10年だ。
中でもこの「6番」は、創作意欲、筆致ともにまさに充実の一途で、彼の作品中、完成度が最も高いと言っても言い過ぎではない。しかしタイトルは「悲劇的」(笑)。 自分の運命をまだ知るよしもない時間帯に、自分も含めた人間の運命を「悲劇」と解釈しそれを表現したのだ。最愛の妻との破局をどこかで覚悟していたのか、それとも結婚後数年で既にその予兆を感じていたのか、妻へ向けられた愛のテーマ・・・(調性のイ短調のイ(a)はアルマのイニシャルと思われる)・・・希望に満ちた(イ長調)フレーズもすぐに絶望(イ短調)に打ち消される。ヒーロー(彼自身)は何度も運命に立ち向かおうと食い下がるが、最後までこの「希望←→絶望」はクドいぐらい繰り返され、ついには運命の打撃に打ちのめされ、結局「絶望」で終結してしまう。これをそのまま受け入れるなら、この曲こそマーラーの世界観がストレートに書き表された「無垢な作品」と位置づけることが出来るかもしれない。
まるで、自分の運命を的確に予感していたかのように、、、。

オーケストラは100人を越える大編成。木管5管編成、ホルン8、トランペット6、トロンボーン4+チューバ。ハープは2台。打楽器もティンパニー2組、大太鼓、小太鼓、シンバル、ドラ、トライアングル、鞭、カウベル、木琴、鉄琴、チェレスタ、それに有名なハンマーも登場する賑やかさ。最終楽章は30分を超える程の大曲で、管楽器群は「咆哮」の連続。まあ、終楽章のハンマーばかりが注目されるのは「話題作り」に過ぎないが(笑)、もちろん「運命の打撃」と称される重要な部分に使われる。使用する楽器(最終的にハンマー)は、作曲者自身試行錯誤の末に辿り着いた結果。「鋭く余韻のない一撃で金属的ではない音」を求めた結果、ハンマー(木製)に行き着いたということを理解しておく必要があるだろう。回数の論議も同じ。今までにない衝撃音が必要だったのは2箇所というのが作者の最終判断か。実演を繰り返しながら曲の完成形を目指すマーラーらしいエピソードだ。
(この件に関しては、金子建志氏の著書「マーラーの交響曲」に詳しい)

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当初楽譜に指示はなく、練習の現場で書き込まれた。ハンマーが叩く素材は様々なものが試されたとか。
現在の演奏現場でも、指揮者の好みによってハンマーの形状や叩かれる物の素材は異なる。

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(これは、マゼール/ロイヤルコンセルトヘボウ管)


リヒャルト・シュトラウスは「楽器が多すぎる」とマーラー本人に忠告したと言うが、作者の立場で「無駄な音は一つも書かれていない」とするなら、演奏は1音たりともおろそかにしないことが肝要となる。同時に譜面に書かれていない音も一切必要ないということ。これまでマーラーの演奏について何度も書いてきたが、一つのミスやアンサンブルの乱れ、ハーモニーの不調がすべてをツヤ消しにしてしまう危険性はマーラーにおいて生命線に等しい。その最重要ポイントがホルンソロだったりトランペットソロだったり、ミスの出やすい楽器に「特に」集中するのがマーラーの奏者泣かせな所(涙)。長時間に及ぶ演奏時間に加え、最後の最後まで一糸乱れぬ最強音のトゥッティ(全奏)の連続が求められるこの6番の過酷さは、別の意味での悲劇性もはらんでいるのだ(笑)。
今回のフィルハーモニア管がスゴいのは、ほとんどノーミスで最後の最後まで咆哮を続けた管楽器群の存在感。マーラーを知り尽くした一流の底力を思い知らされた。

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鳴り止まぬ拍手に再び登場のサロネン。ファンはこれを「一般参賀」と呼ぶ(笑)。


さあ、この7月にはエリアフ・インバルを再び指揮台に迎える大阪フィルがこの曲に挑む。
来シーズンでベルリンフィルを去るサイモン・ラトルも最終公演にこの曲を選んだ。
大阪フィルは昨年のこともあるので、多くを期待しないで出かけるとしよう(笑)。
ラトルはエキサイティングな演奏になることに間違いないが、こちらにこそ何か「奇跡」を期待したい(笑)。




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カルテット

カルテット・・・弦楽四重奏。
そんな名前のドラマも始まったようだが、それとは関係ない(笑)。

弦楽四重奏曲というのは、ある意味音楽のキホンのようなもの。各パート一人というのは誤魔化しが効かない。ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロの4人の編成は、それぞれ人数を増やせば弦楽オーケストラになり、管楽器や打楽器を加えると通常のオーケストラになっていくが、大編成の音楽とは全く別の魅力がある。
あのベートーヴェンの晩年は、弦楽四重奏曲に傑作が集中する。作曲家究極の課題なのかも、、、。

もちろんベートーヴェンもよいが、弦楽四重奏といったら、何と言ってもラヴェルだ(笑)。
彼が1曲しか書いていないのも聴く側はわかりやすくてよい(笑)。

この曲との出会いは30数年前。現代音楽の舞台係のバイトをしていた頃だ。
N響の元コンマス田中千香士さんや新日フィルのコンマス植木三郎さんらが組んだカルテットがこの曲をやった。バリバリ現代音楽の演奏会なのに何故この曲を取り上げたのかはわからないが、現代音楽の黎明に回帰する、的なコンセプトもあったのだろうか。とにかくリハーサルからとてもエキサイティングで、当時日本のトップアーティストたちが、丁丁発止やり合いながら曲を創っていく様に大興奮したのが忘れられない。
田中先生も植木先生も病魔に巣食われ、既に故人となってしまわれた、、、。

そのあと、この曲に取り憑かれたようにたくさんのディスクを集めて聴いた。
でも、とにかく曲自体がよく出来ていて、譜面を正確に再現出来ればばそれなりの演奏になる。謂わば、演奏家の表現力の自由度を奪うような拘束力が強い曲だ。それだけラヴェルの緻密な構築力が際立つ名曲と言えるかも知れない。この1曲でやり尽くした感があるので2作目を作らなかったのかも、、、(笑)。
とにかく名曲中の名曲だ。

久しぶりにこの曲のCDを買った。といっても新譜ではない。正確には古い録音の復刻盤。

String Quartets0987

1957年の録音だから、ボクはまだ生まれていない(笑)。
第1ヴァイオリンのピーナ・カルミレッリ女史は、後に、あのヴィヴァルディの四季で有名な「イ・ムジチ」のコンミスにもなった名手。
実はこのレトロなジャケットに惹かれて買ったのだが(笑)、中々スリリングな名演で何度も繰り返し聴いている。


まだこの曲を知らない方のために楽譜付きのYouTubeを、、、(笑)。
演奏は、この曲の模範とも言えるアルバン・ベルク四重奏団のもの。よかったらお楽しみ下さい。






Category : classic
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短くも美しく燃え

お正月も終わりましたが、、、

皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願い致します。



先日、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニが75歳の誕生日を迎えたとのニュースを目にした。

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彼は18歳でショパンコンクールに優勝して一躍脚光を浴びた。しかし、コンクールの選考時、時の審査員達は若き天才の才能を素直に賞賛することをためらったという。それは、彼のパフォーマンスが余りにも完璧過ぎて、審査する側に少なからずやっかむ空気が支配したからだ。その雰囲気を読み取った大巨匠アルトゥーロ・ルービンシュタイン審査委員長は「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているのか?」と一喝。そして満場一致で優勝を勝ち取ったという逸話は有名だ。しかし彼は、この後すぐに多忙な日々を送ったワケではなく、何と約10年間沈黙する。アーティストとして息の長い人生を見据えてか、その時間を尊敬する大家に教えを請うたりして自分に足りないと思われることへの研鑽に充てたと言われている。その後も演奏曲選びには実に慎重で、自分が納得する域に達しない限り人前では弾かない主義を貫き通して来た。結果、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏に約40年かけたり、バッハに着手したのは何と67歳の時だったりして、彼のライフプランに沿った自己プロデュース哲学には、アーティストとして「孤高」を感じざるを得ない。

ボクが初めてポリーニの実演に触れたのは40年前の大阪・フェスティバルホール。例の充電期間を経て、レコードでショパンのヒット作を連発し「ポリーニ旋風」が吹き荒れていた頃だった。オールショパンプログラムだったが、あっけにとられた記憶しか無い。その後、東京でベートーヴェンも聴いたが、他のピアニスト達を聴くとき、常に彼と比較してしまうこととなり、世界の泡沫ピアニストの皆さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ、ウソウソ(笑)。

そんな彼も75歳か、、、。

2000年代に入ってモーツァルトのコンチェルトを4曲リリースした。
自ら指揮もこなす弾き振りで、ウィーンフィルとのライヴを収録したものだ。
新年早々から、そのCDを繰り返し聴いている。

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特に、この17番と21番がカップリングされているCDが好きだ。
指揮者に支配されることなく、ピアノとオーケストラが寄り添い合っている空気感は、ついつい何度も繰り返し聴きたくなる居心地の良さがある。バックがウィーンフィルということも大きい。ドイツ古典の枠からはみ出るほどの華やかさや奔放さはないが、自分たちの大切な財産「モーツァルト愛」が満ちあふれていて、もちろんそこにはポリーニの指示もあるのだろうが、琴瑟相和すコラボレーションはとても愛おしい。

21番の第2楽章は、スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」に使われたことでも有名で、名曲中の名曲。
ちなみに、この映画の原題は「Elvira Madigan」(エルヴィラ・マディガン)  これは主人公の女性の名前。
心中してしまう男女の悲恋を描いた作品で、この絶妙な邦題を考えたのは作詞家の岩谷時子さんとか。

「みじかくも美しく燃え」  ・・・何と素晴らしき名タイトル!



我が人生は、既に短くもなく、美しく燃えることもなく過ぎて行っているが(笑)、今年は「日々充実したい」と思っている。これも既に手遅れに近いが(笑)、孤高のピアニスト、ポリーニのセルフプロデュース哲学にも学びたいものだ。忙しく走り回ることだけが充実とは言えないし、金銭的成果が充実の全てでもない。

まあ、どこまで行っても頼りは己の能力だけ。
充実した日々、、、それは自分で自分をしっかりプロデュース出来るか、、、だな。
言葉ではわかっていても、実践、実感に遠かったが、何か少し手応えを感じる新年だ。

人生、もうロスタイムなのか?、、、(笑)。
ま、そう思って過ごす感覚は悪くないと思う。






Category : classic
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エアチェック狂騒曲

今年10月6日にサントリーホールで行われたN響の演奏会は「N響90周年特別公演」と銘打たれ、首席指揮者であるパーヴォ・ヤルヴィの指揮でマーラーの交響曲第3番が演奏された。

NHK交響楽団は今年創設90周年を迎え、その記念公演は、この他に「マーラー・交響曲第8番」(P.ヤルヴィ) 「ビゼー・カルメン全曲(演奏会形式)」(デュトワ) 「ベートーヴェン・第九」(ブロムシュテット) が企画された。首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィが9月〜10月にマーラーを演奏したのだが、この模様はこれまでいっこうにテレビで放映されず、地方に住む者としては悲しい限りだった。で、12月27日にFMで放送されるとのことで、何十年ぶりかで「エアチェック」することに相成った。
エアチェックは良いが、いったい何に録音すればよいのか?
カセットテープ?MD?全曲100分近くある曲を何にどう収めるか、、、。

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その昔、ヤフオクでゲットしてそのままにしていた「DAT」を引っ張り出してみた。何と新品のテープも発見(笑)。が、しかし、、、ガサガサとヘンなノイズが消えず、、、。無念の敗退。

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これもいつから使っていないのか覚えがない「PCMプロセッサー」投入。
デジタル録音をまだPCM録音(Pulse Code Modulation)と呼んでいた時代の機器で、アナログ音声をデジタル信号に変換して、接続したビデオデッキでビデオテープに記録するというもの。このシステムを使いやすく1台にまとめたのがDATというワケだ。
元祖・デジタル録音で再チャレンジしてみると・・・・よしよし、今度はまともに動いた(笑)。
いやはや、今どきエアチェックをしようとすると大変なことだ。

無事、エアチェックを終えて翌日試聴。
当日どの程度の録音態勢で収録されたのかは不明で、音の質や広がりに限界はあるが、演奏の質や雰囲気は十分楽しめた。パーヴォ・ヤルヴィという指揮者は、わりと簡潔明瞭な表現をする。昨年の「復活」も同じテイストだったが、今回の3番は、よりその色合いが濃い。

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第1楽章冒頭のホルン8本の強奏からヒネリも何もなくストレートでサッパリ。テンポもあまり揺れず、サッサと進む感じ。途中の各管楽器のソロは流石名手の揃ったN響らしく名人芸に揺るぎなし。毎回言っているが、中でもトロンボーン・新田氏のプレイはこの日も秀逸。惚れ惚れする。この日のハイライトは何と言っても第4楽章のメゾ・ソプラノ独唱(ミシェル・デ・ヤング)だった。こんな含蓄の深い独唱は中々ない。それは5楽章にも続き、この日の白眉、終楽章への流れを演出した。テンポは速いのに、音楽が淡泊にならないのがヤルヴィの真骨頂。フィナーレはここぞと言う場面にテンポをグッと落としてじっくり語りかけ、大団円に向かって見事な陰影を作ってみせた。独唱の扱いと言い、中々の聴かせ上手(笑)。この辺りがヤルヴィの非凡さだろう。ラジオの解説で評論家の舩木氏が「大巨匠の薫陶を受けてきたN響を、ヤルヴィが良い意味で『解放した』・・・」と語っていたが、言い得て妙。
終曲後は少し静寂があって、ブラボー+大喝采、、、当然聴衆の熱狂ぶりが肯けた。
さらに今回は会場がサントリーホールというのもプラス大。昨年の12月に、同じ曲をシャルル・デュトワの指揮でやったのはNHKホール。とにかくNHKホールは最悪。第3楽章の舞台裏で吹くポストホルンソロ(主席トランペットの菊本氏)は、昨年も今回も素晴らしいパフォーマンスだったが、きっとサントリーホールの方が、会場にも聴衆の心にも何倍も轟いたと思う。

昨年のデュトワとは全く異質なマーラーだったが、一年で2度も同じ大曲を取り上げるのは珍しいし、異なる指揮者で挑むことは楽団にとってマイナスはない。ヤルヴィは2021年までN響との契約を延長したらしいが、ノット/東京交響楽団の好ライバルとして、東京の音楽ファンには堪らない日々がやってきた。
ヤルヴィ在任中にN響の演奏会にも行ってみたい。


※デュトワ/N響のマーラー3番のブログはこちら







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実に美しい!

この夏に聴いた、ジョナサン・ノット/東京交響楽団のブルックナー8番のライヴ盤が発売された。

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この顔合わせでの一般向けCD制作は今回が初めてとなる。
このコンビの演奏の評判は徐々に広がりを見せ、今や人気沸騰中。そんな中の初CDリリースだ。
ボクは最初から熱烈な思いで注目しているが(笑)、長期政権が決まったことを思えば、この後数多くの名盤が生まれることに心が躍って仕方がない。特にこれまでまだ取り上げていないマーラーの残りのシンフォニーには期待大。とりあえずは来年の7月に予定されている「復活」かな、、、?(笑)

さて、このCD。
サントリーホール、横須賀芸術劇場と2回演奏会があった内のサントリーホールでのライヴ録音。
2回とも現場で聴いたが、その時の興奮は7/21のブログをご参照願いたい。

繰り返しになるのでクドくは書かないが(笑)、CDを聴き始めてこのオーケストラの音色の美しさにハッとされられた。もちろん会場でも感じたことだが、あらためてマイクを通した音に偽りのない深みを感じる。
もちろん、これまで都響/インバルのマーラー全曲録音等で数々の優秀録音を残してきたオクタヴィアレコードの手腕に依るところは大きいのだろうが、オーケストラが生む音の素材自体の良し悪しは録音でカバー仕切れない部分もある。つまり、このオーケストラに弱点が無く、完成度が揺るぎないものである証だろう。これが日本のオーケストラか?と疑うような、いや、良い意味で言えば、海外のオーケストラにはない日本人らしい美徳に溢れ誇らしさすら感じる。つまらないミスがないのももちろんだが、管楽器アンサンブルの細かい部分やちょっとしたフレーズの息づかい、弦楽器の弓使いや、表情の陰影表現、音程、パートごとのまとまり、、、どこを取っても異次元で、聴くほどに満足感で満たされる。極上のブルックナーを味わうためにはこれ以上特に足らないものはないだろう。ノットの思い描くブルックナー像が、ほぼ100%表れていると言って間違いない歴史的名演だ。
いつもは全曲暗譜で指揮する彼には珍しく指揮台にスコアが置かれていたが、よく見ていると終楽章だけ譜面を見て振っていたようだ。この交響曲も他の曲と同様、作曲者自身の決定稿が無く、第一稿、第二稿、初版、改訂版と様々な版が存在する。後の研究家が改訂に改訂を繰り返し、今回ノットは「ノヴァーク第2稿」で演奏した。他の版と大きく違うのが第4楽章の構成で、そのために終楽章だけ譜面を確認しながら指揮したのではなかろうか。

それにしても、このジョナサン・ノットという指揮者の持つ創造力は何と強烈なのか。美意識が高く、あくまで音楽的。それでいて全体を俯瞰した構築力の骨太なこと。マーラーに於いてももちろんだが、このブルックナーの大曲で、彼が埋蔵している力量の果てしなさを決定的に思い知らされた感じだ。東京交響楽団との相性の良さも当然ある。ノットは過去にN響にも客演したことがあるが、どんな指揮者とも無難にパフォーマンスするエリート集団より、指揮者の息づかいまでもつぶさに読み取って、真っ直ぐ進化する「伸びしろ」にアーティストとしての高揚感を感じているのではないか?そんな相思相愛の空気感に聴衆も熱狂してしまう。

彼は、これからもっともっと世界的に出世していくに違いないが、現在の重要なパートナーの1つが日本のオーケストラというのは意義が大きい。両者の進化、特に東京交響楽団の進化はきっと歴史的なものになるだろう。東京交響楽団は元々素晴らしいオーケストラだが、著しい発展の起点は、20年前「新国立劇場」(日本初の公式オペラ劇場)が設立され、その専属オーケストラとなったことだろう。(現在、東響と東京フィルの2楽団が専属) 数多くのオペラ公演をこなすことで技術的にも音楽的にも高いレベルを維持、実現してきたと言える。そんな一番良いタイミングでジョナサン・ノットという一流シェフに出会うことが出来たのだ。
ファンとして、同じ時間を共有出来ることは人生の宝かも知れない。
それほどに素晴らしい。実に美しい!


P.S
例の、テロリストによる「ブラボーっ!」は、見事に葬られていた。
そのために、その後に巻き起こった大喝采も一緒に葬られることに、、、。
ま、やれやれ、と言ったところ(笑)。







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