「KuraKuraのおと」

「KuraKuraのおと」

リベンジ in OSAKA

エリアフ・インバルが今年も大阪フィルに客演した。

御歳81歳。
老いてもなお旺盛な創造意欲は枯れることを知らず、円熟の高みにあるタクトは、我々に歴史的遺産級の音楽体験を確約する。
今年はマーラーの6番だ。

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インバルは昨年9月、大阪フィルの指揮台に初登場。お得意のマーラー、それも5番をやったワケだが、ボクが聴きに行った初日は、オケがのっけから散々な出來で、悔やまれる内容だった。2日目は打って変わって快演となったらしいが、昨年の忘れ物を取りに行くような気持ちで今回も初日に出かけた(笑)。

マーラー6番は5月にサロネン/フィルハーモニア管の圧倒的名演を聴いたばかり。
世界のフィルハーモニア管と大阪フィルを比較することは難しいが、指揮者は希代のマーレリアンとして一日の長のある世界の巨匠インバルである。東京都響とのマーラーツィクルスは世界に誇れる内容であり、大阪フィルにとっては同じ日本のオーケストラとして、大家の指揮棒にどれくらい応えられるかがカギとなる。オケメンバーにもきっと昨年の不本意さは心にあるはずだ。それがプラスに作用すると信じたい(笑)。

サロネンの時は、第1楽章冒頭で勝負アリと感じたが、今回の演奏も冒頭で「向かう方向」をしっかり感じ取った。インバルの熱いパッションがチェロとコントラバスに完全に乗り移り、テンションマックスで一直線に走り出す。エモーショナルな展開は実にスリリング。スリリングに感じたのは管楽器のソロがズッコケないか心配していたからかも知れないが(笑)、どのパートもほぼノーミスで安定感抜群。やったね!第1楽章で勝負アリ(笑)。

解釈自体はブレることなくインバルの語感そのものだが、都響とは体温が少し違う、、、少し高め?に感じるのは東京と大阪の気質の違いなのかなぁ、、(笑)。

それが顕著に表れたのが、第2楽章で演奏されたスケルツォだった。この楽章は絶叫したり沈黙したりの繰り返しで、とにかく緩急、陰影の妙がキモとなる。荒々しく吠えるだけではなく、密やかに囁くコントラストが見事だった。元気よく始まったは良いが、時間が経つと「カラ元気」がバレてしまうのはよくあるパターンだが、いやいやどうして全くその気配がない。どんどん我々をマーラーの世界に誘うような味わい深いスケルツォだった。
ここまで聴いた時点で、今回はリハーサルが入念だった(時間を多く取った?)のではないかと感じた。昨年は明らかに準備不足に感じたし、指揮者の意図をオケ全体が感じ取れていない不完全燃焼感が否めなかった。その反省から、今回は充分な時間を取ったのかどうか、、、それはわからないが、インバルの指揮棒に確信をもって臨んでいる雰囲気は昨年と全く違っていて、それが客席に充分伝わった。それはコンサートマスター(崔 文洙氏)の力量も大きい。身体全身でオーケストラ全体を鼓舞するアクションは助演男優賞もの。洒脱なヴァイオリンソロも含めて特筆されるべし。

アンダンテも良かった。楽しみにしていたホルンのソロ。トップ・高橋氏のソロはやはり泣かせてくれた。(少しミスはあったけど) 日本のオケでは線の細いホルンソロしか聴けない中、彼のホルンには骨太な音色と豊かな音量が期待出来る。だからこそ楽しみにしていたのだ。終演後、インバルの真っ先の指名に照れくさそうに立ち上がったが、きっと彼にとっては不本意な出来だったんだろうと思う(笑)。
彼も含めてホルンパートの安定感も◎。昨年は崩壊したトランペット陣も◎(笑)。

終楽章。
集中力が途切れることなく、エネルギッシュな指揮は果敢に「運命の打撃」に挑んだ。当然圧巻の幕切れ。
以前にも書いたが、マーラー自身、最高に充実した筆致で創り上げられた楽章でもある。長調と短調の目まぐるしい繰り返し、充実と絶望、絶叫と静寂、、、。復活のところでも書いたけど、曲がガッチリと書けているので、オーケストラが崩壊することなく求められた音を積み重ねれば一定の成功が成し遂げられる。オーケストラはちゃんと心得ていて、丁寧に音を並べ続け、残りのエネルギーを余すところなく爆発させた。
この音の渦に身を委ねる快感、、、これだからマーレリアンはやめられないんだなぁ、、、(笑)。
ずっとずっとこの陶酔感に浸っていたい至福の80分だった。

それなのに、、、客席には空席が目立った。何か、惜しいな、、、。

オマケ。
この曲は打楽器が豊富に登場する。ティンパニー2台(2人)以外に5人という驚異の7人態勢。
木琴、鉄琴、シンバル、トライアングル、ドラ、チャイム、ムチ等々の他、カウベルに例のハンマー。
悪魔のささやきを模した木琴。ステージを出たり入ったりのカウベル。教会の鐘。運命の一撃(ハンマー)まで担った打楽器女子たち。際立ってたね。イェイ!

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昨年の借りを返してもらって、なお余りある大収穫に感謝!
とにかくブラボーっ!
さあ、この圧倒的名演を受けて今後このコンピはどうなるのか?
来年以降、このコンビのマーラーが定番化するのを望むのは聴衆の総意に違いない。
インバルと大阪フィルの新しい世界。歴史に立ち会いたいね。


余談
昨年の5番では、ステージにマイクが林立して完全なレコーディグ態勢だったのが、今回は何の準備もなかった。昨年の録音の行方は不明だが、演奏の出來からしてむしろ録音なら今回だった。こんな完成度の高い演奏はインバルの年齢を考えたらもう二度はない。関係者にとって悔やまれる事となったのではないか。ファンとしても何度も反芻したい名演だっただけに残念だ。
記録用のワンポイントマイクは吊ってあったので、その録音をなんとかCD制作につなげられないものか、、、期待したい。



ノット/東響。インバル/大阪フィル。
大収穫の7月。マーラー月間が終わった。





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名監督

スポーツ競技と音楽を一緒にするのは少しムリもあるが、例えば「贔屓のチーム」を応援するという動機は同じかも知れない。

近年、国内に優れたクラシック専用の演奏会場(ホール)が増えた。新しいクラシック専用のホールでは、野球やサッカーのように「フランチャイズ」と称してホームオーケストラを誘致し、本番公演はもちろん、普段の練習も同じステージで行える環境を与えているケースがある。
川崎市(ミューザ川崎シンフォニーホール)と東京交響楽団はその最高の成功例と言えるだろう。
ホームでの試合に毎回足を運んでそのチームを応援したくなる動機には、地元のチームだからとか、特定の選手が好きだとか、チームカラーが好きだとか、強いとか、、、様々なものがあるだろう。
このオーケストラは地域へのアウトリーチ(小、中学生対象)にも積極的で、まさに「我が街のオーケストラ」として文化貢献する姿勢が素晴らしい。ホームオーケストラへの期待や盛り上がりを高めるのはチケットのプロモーション等、経営面でも重要な部分。
良いスタジアムに強いホームチーム。チームを支える魅力溢れる選手達、率いる監督。
音楽に置き換えれば、響きの良いホールに、力量のあるホームオーケストラ。そこにはお客を呼べる優れた指揮者+魅力的なプログラムが不可欠ということ。
ミューザ川崎という国内最高レベルのホールに国内トップレベルのオーケストラが本拠を構え、そこにジョナサン・ノットという名指揮者が音楽監督に就任した。国際的にもまだまだ知名度を上げていく期待のマエストロとの新しいサクセスストーリーが今まさに進行中なのだ。

就任当初からノット起用を「快挙」と信じ、彼の得意なマーラーだけは聴き逃すまじと遠路を馳せ参じて来た。これまで、就任記念演奏会でのいきなりの「9番」、その年の12月には「8番」、一昨年の「3番」を経て先日の「2番・復活」に至った。音楽監督の契約期間を10年間という長期に延長したことを考えると、当然残りのシンフォニーを全曲取り上げることは間違いない。
自分自身、このコンビを追いかけることこそライフワークと決めこれまでの演奏会の感想をここに記してきた(初回の9番は旧ブログ)。昨年はマーラーをやらなかったが、替わりに聴いたブルックナーが超弩級の名演奏。指揮者とオーケストラの関係性は既に2年で成熟を迎えていることを感じたし、その後発売されたこのライヴCDが高評価を得て、ようやくこのコンビのスゴさが世の中に伝わり始めたと喜んでいる(笑)。

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で、満を持しての「復活」 2日間公演の2日目。
前日のツィッターを見ると、珍しくミスが目立ったとの声もあったが、そういう時の2日目は当然良い演奏になることを確信して臨んだ(笑)。
プログラムは、細川俊夫氏の作品とマーラー。細川氏の作品は、東日本大震災で子供を亡くした母をモチーフにした「嘆き」という曲。全体的におどろおどろしい雰囲気で、後半のマーラーでもソリストとして登場する藤村実穂子さんの独唱に圧倒された。
20分の休憩を挟んでマーラー。
前半の細川作品の悲愴感が耳に残っていたのか、「復活」のあの冒頭を聴いたとき、妙に温かみを感じたのが不思議だった(笑)。

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初日のアンサンブルの乱れに考慮したのか、ノットの的確なバトンテクニックが冴え渡った。この人は本当に指揮が上手い。豊かな顔の表情、アクション、ここぞという時の統率力。どれを取っても演奏する側にとっては満点だろう。ああ振られるとこう演奏せざるを得ないだろう、という指揮。しかし、マゼールのような冷徹さがないのがこの人が奏者達に愛される部分なのかも知れない。随所に登場する管楽器のソロ部分は、奏者の自発性に委ねて伸びやかさを促す。この指揮者の元で奏者たちが生き生きしているのがヒシヒシとわかる。ノット氏自身の人間性や望む音楽志向に依ると言えばそれまでだが、どんな指揮者でもそれを目指しているワケで、優劣を分けるのは「リスペクト感」みたいなものかも知れない。その「リスペクト感」は客席にも伝わり、観客も含めて選手達を上手くドライブする「名監督」の采配に全体が一体となって酔いしれるのだ。
・・・その流れからの終楽章。やはりそれは圧巻だった!

既に4つの楽章で雌雄は決した。
軽い、とは言わないがノットらしいスマートさとソリッドな構築力が際立つ。彼の語感は常に一貫している。
ここまで来たら最終楽章は曲がよく出来ているのでどうやっても大丈夫(笑)。
あとはとことん感動させてくれーっ!って感じ(笑)。
ま、それはちょっと乱暴な言い方だが、ヘタな芝居で多少のミスがあっても台本がよく書けてるので何とか押し切れる、が、それだけに高みを目指せばどこまででも昇華出来るという感じ。言い換えれば、演者の実力が本当に試される部分、と思っている。
ノットの丁寧な解釈、深く呼吸するような一貫した主張、細かく配慮されたダイナミズムや陰影、説得力のある独唱に合唱のクォリィティの高さ、、、全てが最後の一点に結実して、クライマックスで「aufersteh'n (よみがえる)♪」とやられると、涙なしでは聴いていられない。実に格調の高いフィナーレだった。


サポーターにはこのチームを誇りに感じる至福の時間。
それにしても、スゴい監督と縁があったものだ。ますます、ファンは増え続けるだろう。
新しい歴史はまだ始まったばかりだ。



演奏が終わってカーテンコールが繰り返された中、この公演を最後に引退するメンバーにノット監督が駆け寄り、握手して讃える場面があった。サポーターたちもよく知っていて感動的な一場面となった。これも、チームとサポーターのいい関係を示すシーン!

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「一般参賀」
この光景も、もう珍しくなくなった。




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圧巻!

何と、3ヶ月ぶりの更新。

ついに書くネタも尽き、精神的にも低迷、、、店も同じく、、、(笑)
久しぶりに演奏会に行ったので備忘録的更新と相成って候。



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注目している指揮者の一人、エサ=ペッカ・サロネン。
彼が、手兵・フィルハーモニア管弦楽団と来日。
ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団もそうだったが、来日するオーケストラは関空から入り、西宮で初日、その後関東方面へ進むのが定番化しているのかな?今回も我が(笑)、兵庫県立芸術文化センターが初日公演となった。
プログラムは
ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第3番(ピアノはチョ・ソンジン)
マーラー・交響曲第6番「悲劇的」

サロネン/フィル管のコンビを聴くのは今回で3回目。
初回にマーラーをやったが曲が「巨人」だったので欲求不満だった(笑)。しかし今回は6番。申し分なくサロネンのマーラーを堪能出来るものと期待は高まる。

ベートーヴェンが終わって20分の休憩。
後半の指揮台に向かうサロネンは、既に「運命の足音」を踏みしめているかのように、お辞儀も早々にチェロとコントラバスに向かって指揮棒を振り下ろした。観客席がまだ音楽を受け入れる態勢に収まる前から「ザッ、ザッ、ザッ」と力強い足音で、、、。聴き手は、不意を突かれたスキに心の中にズカリと踏み込まれて先手を獲られた感じだが、既に「勝負あった、、」とボクは確信した。何故かな?(笑)
音楽は、謂わば「間の芸術」 聴く者の心に絶妙に入り込む「間」 この「間」を支配出来る者こそが名演奏を生む資格がある。・・・そんな感じ、と言ったらわかってもらえるだろうか。
サロネンの棒は、相変わらず的確で時に力強く、時にしなやか。そしてこの難解で複雑な大曲を、まるで解説しながら進行させるような見事なバトン。オーケストラは、彼の積極的な推進力に促されるまでもなく、意図を全て了解済みでテンポの揺れやフレージングにピタリ寄り添う。当たり前のような「当たり前」を、さりげなくスマートに実現できるのが世界トップのオーケストラだ。2008年から主席指揮者・芸術顧問の地位にあるサロネンとの充実ぶりが著しい。さらにこのオーケストラにとってマーラーは謂わば十八番。かつてシノーポリと録音した全集は名盤中の名盤だし、最近ではマゼールの遺作的マーラーチクルスがある。今まさに繰り広げられようとしている極上のマーラーに我々聴衆が引き込まれないワケがなかった。
演奏は圧巻の一言! 曲が終わった後、サロネンがタクトを降ろしてからもしばらく沈黙が続いた。
「ブラボーっ」とフライングする人もなく、、、ホール全体が、極上の「運命の打撃」から我を取り戻すのに自然に時間を要したのだ。これこそ名演の証明だろう(笑)。



マーラーのこの交響曲は「悲劇的」と呼ばれている。
マーラーの人生は波瀾万丈。41歳の時に出会った18歳年下の美女・アルマと結婚し二人の娘に恵まれる。しかし、その後長女を病気で失うわ夫婦仲は徐々に冷え込んでしまうわで、ついにはアルマが浮気。失意の中、50歳の若さで病死してしまう運命にあるのだが、第4交響曲以降の作品がこの10年間に書き上げられたという事実がマーラーの人生を象徴する。実に濃密な10年!生き急いだ、いや、死に急いだ濃密な10年だ。
中でもこの「6番」は、創作意欲、筆致ともにまさに充実の一途で、彼の作品中、完成度が最も高いと言っても言い過ぎではない。しかしタイトルは「悲劇的」(笑)。 自分の運命をまだ知るよしもない時間帯に、自分も含めた人間の運命を「悲劇」と解釈しそれを表現したのだ。最愛の妻との破局をどこかで覚悟していたのか、それとも結婚後数年で既にその予兆を感じていたのか、妻へ向けられた愛のテーマ・・・(調性のイ短調のイ(a)はアルマのイニシャルと思われる)・・・希望に満ちた(イ長調)フレーズもすぐに絶望(イ短調)に打ち消される。ヒーロー(彼自身)は何度も運命に立ち向かおうと食い下がるが、最後までこの「希望←→絶望」はクドいぐらい繰り返され、ついには運命の打撃に打ちのめされ、結局「絶望」で終結してしまう。これをそのまま受け入れるなら、この曲こそマーラーの世界観がストレートに書き表された「無垢な作品」と位置づけることが出来るかもしれない。
まるで、自分の運命を的確に予感していたかのように、、、。

オーケストラは100人を越える大編成。木管5管編成、ホルン8、トランペット6、トロンボーン4+チューバ。ハープは2台。打楽器もティンパニー2組、大太鼓、小太鼓、シンバル、ドラ、トライアングル、鞭、カウベル、木琴、鉄琴、チェレスタ、それに有名なハンマーも登場する賑やかさ。最終楽章は30分を超える程の大曲で、管楽器群は「咆哮」の連続。まあ、終楽章のハンマーばかりが注目されるのは「話題作り」に過ぎないが(笑)、もちろん「運命の打撃」と称される重要な部分に使われる。使用する楽器(最終的にハンマー)は、作曲者自身試行錯誤の末に辿り着いた結果。「鋭く余韻のない一撃で金属的ではない音」を求めた結果、ハンマー(木製)に行き着いたということを理解しておく必要があるだろう。回数の論議も同じ。今までにない衝撃音が必要だったのは2箇所というのが作者の最終判断か。実演を繰り返しながら曲の完成形を目指すマーラーらしいエピソードだ。
(この件に関しては、金子建志氏の著書「マーラーの交響曲」に詳しい)

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当初楽譜に指示はなく、練習の現場で書き込まれた。ハンマーが叩く素材は様々なものが試されたとか。
現在の演奏現場でも、指揮者の好みによってハンマーの形状や叩かれる物の素材は異なる。

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(これは、マゼール/ロイヤルコンセルトヘボウ管)


リヒャルト・シュトラウスは「楽器が多すぎる」とマーラー本人に忠告したと言うが、作者の立場で「無駄な音は一つも書かれていない」とするなら、演奏は1音たりともおろそかにしないことが肝要となる。同時に譜面に書かれていない音も一切必要ないということ。これまでマーラーの演奏について何度も書いてきたが、一つのミスやアンサンブルの乱れ、ハーモニーの不調がすべてをツヤ消しにしてしまう危険性はマーラーにおいて生命線に等しい。その最重要ポイントがホルンソロだったりトランペットソロだったり、ミスの出やすい楽器に「特に」集中するのがマーラーの奏者泣かせな所(涙)。長時間に及ぶ演奏時間に加え、最後の最後まで一糸乱れぬ最強音のトゥッティ(全奏)の連続が求められるこの6番の過酷さは、別の意味での悲劇性もはらんでいるのだ(笑)。
今回のフィルハーモニア管がスゴいのは、ほとんどノーミスで最後の最後まで咆哮を続けた管楽器群の存在感。マーラーを知り尽くした一流の底力を思い知らされた。

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鳴り止まぬ拍手に再び登場のサロネン。ファンはこれを「一般参賀」と呼ぶ(笑)。


さあ、この7月にはエリアフ・インバルを再び指揮台に迎える大阪フィルがこの曲に挑む。
来シーズンでベルリンフィルを去るサイモン・ラトルも最終公演にこの曲を選んだ。
大阪フィルは昨年のこともあるので、多くを期待しないで出かけるとしよう(笑)。
ラトルはエキサイティングな演奏になることに間違いないが、こちらにこそ何か「奇跡」を期待したい(笑)。




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カルテット

カルテット・・・弦楽四重奏。
そんな名前のドラマも始まったようだが、それとは関係ない(笑)。

弦楽四重奏曲というのは、ある意味音楽のキホンのようなもの。各パート一人というのは誤魔化しが効かない。ヴァイオリン2本、ヴィオラ、チェロの4人の編成は、それぞれ人数を増やせば弦楽オーケストラになり、管楽器や打楽器を加えると通常のオーケストラになっていくが、大編成の音楽とは全く別の魅力がある。
あのベートーヴェンの晩年は、弦楽四重奏曲に傑作が集中する。作曲家究極の課題なのかも、、、。

もちろんベートーヴェンもよいが、弦楽四重奏といったら、何と言ってもラヴェルだ(笑)。
彼が1曲しか書いていないのも聴く側はわかりやすくてよい(笑)。

この曲との出会いは30数年前。現代音楽の舞台係のバイトをしていた頃だ。
N響の元コンマス田中千香士さんや新日フィルのコンマス植木三郎さんらが組んだカルテットがこの曲をやった。バリバリ現代音楽の演奏会なのに何故この曲を取り上げたのかはわからないが、現代音楽の黎明に回帰する、的なコンセプトもあったのだろうか。とにかくリハーサルからとてもエキサイティングで、当時日本のトップアーティストたちが、丁丁発止やり合いながら曲を創っていく様に大興奮したのが忘れられない。
田中先生も植木先生も病魔に巣食われ、既に故人となってしまわれた、、、。

そのあと、この曲に取り憑かれたようにたくさんのディスクを集めて聴いた。
でも、とにかく曲自体がよく出来ていて、譜面を正確に再現出来ればばそれなりの演奏になる。謂わば、演奏家の表現力の自由度を奪うような拘束力が強い曲だ。それだけラヴェルの緻密な構築力が際立つ名曲と言えるかも知れない。この1曲でやり尽くした感があるので2作目を作らなかったのかも、、、(笑)。
とにかく名曲中の名曲だ。

久しぶりにこの曲のCDを買った。といっても新譜ではない。正確には古い録音の復刻盤。

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1957年の録音だから、ボクはまだ生まれていない(笑)。
第1ヴァイオリンのピーナ・カルミレッリ女史は、後に、あのヴィヴァルディの四季で有名な「イ・ムジチ」のコンミスにもなった名手。
実はこのレトロなジャケットに惹かれて買ったのだが(笑)、中々スリリングな名演で何度も繰り返し聴いている。


まだこの曲を知らない方のために楽譜付きのYouTubeを、、、(笑)。
演奏は、この曲の模範とも言えるアルバン・ベルク四重奏団のもの。よかったらお楽しみ下さい。






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短くも美しく燃え

お正月も終わりましたが、、、

皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願い致します。



先日、ピアニストのマウリツィオ・ポリーニが75歳の誕生日を迎えたとのニュースを目にした。

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彼は18歳でショパンコンクールに優勝して一躍脚光を浴びた。しかし、コンクールの選考時、時の審査員達は若き天才の才能を素直に賞賛することをためらったという。それは、彼のパフォーマンスが余りにも完璧過ぎて、審査する側に少なからずやっかむ空気が支配したからだ。その雰囲気を読み取った大巨匠アルトゥーロ・ルービンシュタイン審査委員長は「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているのか?」と一喝。そして満場一致で優勝を勝ち取ったという逸話は有名だ。しかし彼は、この後すぐに多忙な日々を送ったワケではなく、何と約10年間沈黙する。アーティストとして息の長い人生を見据えてか、その時間を尊敬する大家に教えを請うたりして自分に足りないと思われることへの研鑽に充てたと言われている。その後も演奏曲選びには実に慎重で、自分が納得する域に達しない限り人前では弾かない主義を貫き通して来た。結果、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏に約40年かけたり、バッハに着手したのは何と67歳の時だったりして、彼のライフプランに沿った自己プロデュース哲学には、アーティストとして「孤高」を感じざるを得ない。

ボクが初めてポリーニの実演に触れたのは40年前の大阪・フェスティバルホール。例の充電期間を経て、レコードでショパンのヒット作を連発し「ポリーニ旋風」が吹き荒れていた頃だった。オールショパンプログラムだったが、あっけにとられた記憶しか無い。その後、東京でベートーヴェンも聴いたが、他のピアニスト達を聴くとき、常に彼と比較してしまうこととなり、世界の泡沫ピアニストの皆さんには本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ、ウソウソ(笑)。

そんな彼も75歳か、、、。

2000年代に入ってモーツァルトのコンチェルトを4曲リリースした。
自ら指揮もこなす弾き振りで、ウィーンフィルとのライヴを収録したものだ。
新年早々から、そのCDを繰り返し聴いている。

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特に、この17番と21番がカップリングされているCDが好きだ。
指揮者に支配されることなく、ピアノとオーケストラが寄り添い合っている空気感は、ついつい何度も繰り返し聴きたくなる居心地の良さがある。バックがウィーンフィルということも大きい。ドイツ古典の枠からはみ出るほどの華やかさや奔放さはないが、自分たちの大切な財産「モーツァルト愛」が満ちあふれていて、もちろんそこにはポリーニの指示もあるのだろうが、琴瑟相和すコラボレーションはとても愛おしい。

21番の第2楽章は、スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」に使われたことでも有名で、名曲中の名曲。
ちなみに、この映画の原題は「Elvira Madigan」(エルヴィラ・マディガン)  これは主人公の女性の名前。
心中してしまう男女の悲恋を描いた作品で、この絶妙な邦題を考えたのは作詞家の岩谷時子さんとか。

「みじかくも美しく燃え」  ・・・何と素晴らしき名タイトル!



我が人生は、既に短くもなく、美しく燃えることもなく過ぎて行っているが(笑)、今年は「日々充実したい」と思っている。これも既に手遅れに近いが(笑)、孤高のピアニスト、ポリーニのセルフプロデュース哲学にも学びたいものだ。忙しく走り回ることだけが充実とは言えないし、金銭的成果が充実の全てでもない。

まあ、どこまで行っても頼りは己の能力だけ。
充実した日々、、、それは自分で自分をしっかりプロデュース出来るか、、、だな。
言葉ではわかっていても、実践、実感に遠かったが、何か少し手応えを感じる新年だ。

人生、もうロスタイムなのか?、、、(笑)。
ま、そう思って過ごす感覚は悪くないと思う。






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